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ALS 父の病気の経緯【父の闘病②】

公開日: : 最終更新日:2016/07/22 未分類

私の父は2010年夏頃にALS(筋萎縮性側索硬化症)の症状がではじめ、人工呼吸器なしで6年の闘病生活を送りました。

ALSの進行過程は本当に様々で、あくまで 父や我が家の場合は、という前提ではありますが

ALSの患者さま、ご家族の方の参考になれば、、と思い この6年を記載することに致しました。

 

家族紹介

家族紹介

■父 ALSが発覚した年齢:59歳
家族経営で小さいながらも自営業を営む。

誠実で仕事一筋。絵画に作詞作曲、読書にテニス、釣りや日曜大工と、多趣味で面白い人。
いたずら好きのお茶目さん。

友人も多く、地域の色々な会に顔を出していたり、、口数は少なめですが こっそりいたずらをしているような憎めないタイプの人。

困っている人をほっておけない 根がやさしい人。ただ、結構がんこなところも。

こどもの頃 衝突しても意見は全然聞いてくれませんでしたね。

 

■母 :父の6個下

昔から体が弱く、無理はできない体なのに 人一倍がんばるがんばりやさん。

おしゃべり好きで 情に厚い。人がいい。

騙されていても気がつかず 騙された相手に感謝していそうなタイプ。

 

いつも笑顔で誰かの悪口を言っているのを聞いたことがない。

父の病気前までは 1、2歩父の後ろを歩きそうなほど 従順で、悪く言えば 自分の意見がない人でした。

受け身で依存心が強い印象がありましたが、、、

父の病気後、今では すっかり頼もしく変貌を遂げ、自営の商売を一人で仕切っています。

人って環境でこんなに変わるんですね。

変わったといえど、感情的で情にほだされる&流行や人の意見に左右されることが多い。

 

■姉:アラサー

ちょっと浮世離れしているユニークな感性を持つ。研究肌で多方面に知識深い。

思い込んだら一直線なこともあり、周りが見えていないことも。

スピリチュアルな世界が広がっている。

ドライな面や繊細な面など もある、なかなかつかみどころがない不思議な姉。

県外に住んでいるため たまに帰省してくる。

父からは物書きの才能を受け継いでいるのか、文章がお上手。小説を書くのが趣味。

 

■私:アラサーのデザイナー兼イラストレーター

末っ子気質なのか けっこう自由奔放な方。

マイペースで気が長いがせっかちなところも。

空気は読めたり読めなかったり。猫のような性格だといわれる。

父からは美術系の能力を受け継ぎ生業とする。

幼少期はママっ子だったが、大人になるにつれて芸術系の趣味が似ている父と共通話題が増え、仲が良くなる。
二十歳以降〜上京までは毎晩 晩酌をするように。

東京で就職し数年住んでいたが、震災後の2011年5月頃に実家に帰る。その頃 父の病名が判明する。

 

ALS 父の病気の経緯

ALSが判明するまで

ALS発症以前は入院歴もなく 中肉中背で体力もあり健康そのもの。

風邪もひかず 病気の 「び」の字もない人でした。

 

祖父母が保険嫌いだったこともあり、医療保険や生命保険にも入っていなかったのですが

祖父母がなくなって数年後、、親戚の「60歳になると保険料が上がるし病気は出てくるものだ」という勧めで病気発覚半年前に 保険に入っていたことが闘病生活開始にあたって せめてもの救いでした。

 

病名が判明するまでの流れ

 

病院嫌いでなかなか病院に行こうとしない父を母が説得していろんな病院&いろんな科にかかるものの、

原因不明で「異常なし」と言われ続け、病名がわかったのは 自覚症状が出てから1年後でした。

 

●2010年 父58歳

 

6月頃:唾が飲み込みにくく、大きな声が出しにくくなるという症状が出る→耳鼻咽喉科へ。異常なし。
11月頃:ロレツが回りずらくなる➡︎脳の病気を疑い 神経内科へ。異常なし

12月頃:以前は自覚症状と家族、親しい友人には分かる程度の「呂律の異常」でしたが、初対面の人にも分かるくらいに悪化。

酔っ払って呂律が回らない人のような話し方に。大学病院系列の有名な大きな病院で診察をうけるものの、動脈硬化や脳梗塞を疑われ 薬をもらうが症状に改善がみられなかった。

 

●2011年 父59歳

 

原因不明や難病を発見する名医の噂を聞き、見てもらう。脚気のような足をコンコンと叩くような検査や色々細かく検査してもらえました。

その時、ALSの可能性など示唆されました。

5月初旬:次女(私)が東京から戻って来る。このころから 口数が減る。

 

5月〜6月:大学病院で10日間の検査入院。検査期間が月をまたいでしまったため 医療費の負担多めに。(★注意!月内で検査スケジュールを完了することをおすすめします)費用は10万前後実費。検査内容は髄液の採取や筋電図など。髄液を注射で採取する検査がとても痛いらしいです。。

6月中旬:病名が分かる。父と母2人で病院に呼ばれ、医師から父がALS(筋萎縮性側索硬化症)である、と告知を受ける。

(余命は)平均半年〜3年で、自営業なので仕事の整理を進められる。

愛煙家&毎晩少ないながらもお酒を楽しむ父でしたが禁酒&禁煙の指令がでるものの、、父は止めず。

病名発覚後の家族の心境

母:今まで父の2、3歩下がって従順についてきたような母でしたので、突然健康だった一家の大黒柱が倒れそうだと知り
「将来の不安」が一気に押し寄せたように見えました。全ての意見を人に聞き、自分で決めることができなかった母。
どれだけ心細かったかは計り知れません。
ALSの本を買い込み、患者の会に出向き、野菜の酵素で病気の進行を止めた人がいるというネットの記事をみつけ、酵素を取り寄せ 食事からも父をサポートしようと熱心に研究をしはじめました。

私:正直ショックでした。あんなに健康だった父が、どうして、、と思いました。
当時私は20代半ばでした。
友人と集まればガールズトークでもりあがりますが、周りの友人の悩みといえば「彼氏の悩み」や「合コンで出会った変な男性に関する悩み」のような年相応の「悩み」であり、その中に「父の病気」の話題は深刻すぎて話すこともできず、みんなの微笑ましい悩みを羨ましく、恨めしく聞いていました。

東京にいたため、気がついた時には父は言葉を失っており もう話すことは、、声を聞くことはできないのだと涙が出てきました。もっと話したいことや教えてもらいたいことがいっぱいあったのです。

20代半ば〜後半、、社会人になり少しは成長し、やっと親とも大人同士の話ができそうになる頃、、。
もっとたくさん見せたいものがあったのです。
彼氏も合わせていないし、結婚式や、いつか孫を見せたいと思っていたし、孫にデレデレになる父だって見たかったのです。

病名がわかり、ネットで予後を調べて しばらく一人で部屋でワンワン泣きました。
声に出して泣いたのなんて何年ぶりでしょうか。

そこから 我が家の家業の不安、母の未来、自分の未来などひっくるめて 不安と恐怖でいっぱいになりました。

私には当時 まだまだ叶えたい夢があり、家業を継ぐ気はなく、地元は窮屈でした。

罰当たりな思考もよぎりました。
このまま 父の介護生活が始まり、結婚しないまま地元で夢も叶えられず一生終わるかもしれない、、とも思いました。

そこから1ヶ月は 精神が落ち着かず、「私がこの家を支えないといけないのか」と思いつめすぎて
パニック障害を起こし 心療内科を受診するほど 精神が不安定になってしまいました、、。

彼氏(今の主人):東京時代に1年半ほど「結婚前提」で付き合っていた彼氏。(彼からの告白がそんなかんじだった)
震災後私が地元に引っ越ししてからは 遠距離恋愛していました。
遠距離恋愛開始後すぐに病気がわかったため、父のALSの話をしましたが、当時 深刻な病気だと捉えてくれませんでした。

「平均半年〜3年」と伝えても信じてくれず、調べもせずに「そんな暗いこと考えずに医療を信じろよ」というような返答が帰ってきました。
「治療法がない進行が早い病気なんだよっ 怒 」 病名をネットで調べてもくれないのかと、正直がっかりしていました。

ただ、私が大泣きしてからは 少しづつ病気に対する理解や認知を深めてくれたようです。

その後、「お義父さんを安心させようか」とプロポーズされ、1年後に挙式をすることに。
「お義父さんに式を見てもらいたいね」ということで、私たちの結婚が早まりました。
もしかしたら父が病気になっていなかったら 遠距離恋愛中に破局していたかもしれません。
遠距離開始後すぐに結婚の話になったので 「遠距離恋愛」が継続できたようにも思うのです。

父は私たちのキューピットでもあるのかもしれません。

姉:心配していましたが 県内ですが仕事が忙しく 心境は聞いていません。
病気について調べ、健康によさそうな情報などを調べて母に伝えていました。
同じ病気であるALSの社長の知り合いがおり、その人の情報を母に伝え、
人工呼吸器や延命治療について お金もかかるので いろんな心配をしていました。

 

病名がわかったその後の経緯

 

その後1年間は月に1回、電車で1時間半ほどの都心の大病院に母の付き添いで通う。

※地検の薬が出ることを期待して遠方の大病院に通うことにしたが、その後、1年後くらいしたあとで 地検の薬をアナウンスされたが毎日注射で通わないといけないため、父の体の状態と移動の負担を考え結局地検は断念している。

6月下旬:去年から計画していた、父と母の思い出の地であるハワイに親戚夫婦と一緒に4人で旅行に行く

体の状態:呂律以外は普通。速度は遅くなったものの 肩を貸したりして 自力で歩いてました。疲れやすいので旅行中はタクシー移動が増える。

 

少し 性格に変化がおこりだす。(性格の変化:わがまま、自己中心的、涙もろい、感情の起伏が激しい

病院でリルテックという病気の進行を遅らせれると言われている薬を出されるがアレルギー反応(蕁麻疹)が出る。

唯一ALSで認可がおりている薬が飲めないことが判明。

父にアレルギー歴は花粉症ですらなかったのに、唯一ある薬にアレルギーが出るなんて、、と すごく運命を呪いました。

ムコダインやビタミンEなど3種類の粉末状の薬を処方される。(玉薬は舌が病気により短くなっているので飲めなかった)

夏頃〜

●言葉をまずはじめに失ったため、まずはコミュニケーション不足に。筆談が頼りに。
男の人ということもあり、感情はあまり出さないためなかなか家族と意思の疎通が難しくなる。

ALSは徐々に全身の筋肉が収縮(動かなくなる)病気なので、筆談も遅かれ早かれ難しくなる。

スムーズに書けなくなるため本人は書くのが面倒臭くて最低限の要件しか筆談でも書いてくれなくなる。

 

●唾が飲み込みづらいため、口の中によく唾をためている??せいか、笑うたびに「ぶはーーーーー」っと唾を撒き散らすように。

咳でむせることも増え、よく唾を飛ばしていた

正直、唾液(大量)飛ばしは 家族でもきついと思いました。
生理的にキツイ。顔もふくめ、あたり一面唾液やタンまみれになるので。。

他人と父が向き合っている時、ツバなどで 不快な思いをさせないかと ハラハラしていました。(現に何度もさせてしまいました)

秋頃〜

徐々に歩行が困難に。歩いていると転ぶので トイレなど 母がつきそうようになる。

夜間のトイレ(2時間起きなど)が増え母の寝不足が続く。

 

●味覚の変化??

味を感じにくいのか 塩や醤油を大量に自分の皿に振りかけるようになる。※卵かけご飯が醤油で黒色に。

父のワガママがはじまる〜性格の変化〜

その時は脳障害が始まってることに気がついてあげれなかった。

この変化が今思えば一番きつかったです。

■感情コントロールがきかなくなる
■自己中心的になる
■理解能力が低下する

「呼吸器系から進行しているせいか酸素不足なのか思考があまりできなくなる」のか、「病気による脳細胞の変化??」なのか、とても自己中心的な振る舞いが増える。

例えば:
①父の希望でビュッフェ系の人気レストランにいったのですが待ち時間が待てず 待ちの列を無視し、止めても怒って腕を振り払い 勝手に店内に入り 盛り付けて待合椅子に座って食べ出す。※以前は常識的な人でした

②生命保険が 高度障害により死亡金額まで支払われたため 本人はお金持ち気分になってしまい、いろんな人(とくに女の人)に個人通帳を見せびらかしたり、札束を持ち歩き散財するように。※以前は浮気もなく、女性には奥手な人でしたし、金銭的な自慢などするような人ではなかった

③車の運転が上手で得意だった父ですが、家族が止めても運転を止めてくれず、家族を車で外食、 止めてある知人の車にぶつけてしまい、普段の父なら降りて 正しい手続きをするはずなのに逃げてしまいました。(後で母が謝り&修理の話をしに行きました。)

④唾を吹く出す前に手で押さえてといっても押さえてくれず、食事中でも満遍なく父の大量の唾が 家族全員分の大皿に降り注ぐ。

一度 家族で食べる用の大きなアイスクリームのパックを父がスプーンで練っていたのですが、笑ってしまい大量の唾液が口からこぼれていましたが 気にせずにアイスにねりこんでおり、食卓に出しておりました。

⑤飲み屋で働く 同級生の美人のシングルマザーに アクセサリー(20万くらい)を購入し、隠し持つ

病気後 よく男友達と一緒にそのスナック行き、おごりで豪遊?していたことが判明。

⑥簡単なことを聞いても「わからない」と筆談することが増える。人工呼吸器や延命治療にかんする希望を聞いても「わからない」というコメントしか返ってこなかった。

 

脳障害なのか、大病による性格の変化なのか、自暴自棄なのか、アルツハイマー複合型ALSだったためそのせいなのかはわかりませんが 半年〜1年 父の性格が変わってから一人で動き回れる期間は 金銭面と自己中心的な振る舞いで我が家はてんてこ舞いでした。

本人にとっては 「自分の脳の変化」に気がついておらず、自分が正義であり、常識です。

本人の「プライド」「意思」を尊重しつつ 「異常行動」を阻止することの難しさを痛感しました。

 

顔の表情も筋肉の低下とともに 少しづつなくなってくるため、より一層父の気持ちがわからなくなってゆきました。

 

当時の家族の心境や状況など

ここから半年〜1年弱は精神的にも肉体的にも(おそらく)本人も家族も とてもつらい時期だったと思います。

 

病気により性格が変化し、わがままで自己中心的で感情のコントロールが効かなくなり、理解力が低下(アルツハイマー併発)している&話せないためコミュニケーションがうまく取れない というのがとても苦しかったです。

※当時はアルツハイマーも併発しているとは知らなかった

 

病気の進行が早く、家族も本人も何ができなくなるのかも理解しきれていないため

できないことが増えて行く早さにみんなついていけていないかんじです。

 

「お父さんどうしちゃったの??」の連続です。

 

特に 当時は「ALSは頭はしっかりしている病気だ」と聞いていたため、珍しいアルツハイマー併発型だとは思いもよりませんでした。

 

性格や理解力の変化に 家族全員ついていけず、、、「病気を受け入れれない父が自暴自棄になってわがままになっている」と思い込んでいました。

 

病気の家族をいたわってあげたいのに、本人が一番つらいとわかっているはずなのに、、

日々の仕事と、父の介護でヘトヘトになっている母と私。心の余裕もなくなっていました。

 

そんな毎日の中で 「女性問題」や「金銭問題」などで 父の横暴で横柄な態度や振る舞いや行動に つい負の感情を抱いてしまう、、。

 

家族の日常の中では 父は「病人で、人一倍大切に扱う存在」ではなく、いままで通り「父」なんです。

病気になったからって わがままだったり自分勝手で横暴だったらムカついてしまうのです、、。

 

TVドラマだったら、患者である主人公は「健気でおもいやりあふれており、前向きで一途ながんばりやさん」

時に 精神不安で 荒れることもあるけど 、そんな時も 家族はやさしく柔軟に受け止める、、、

 

という描かれ方をすることが多いですが、、、当たりまえですが、現実は全然そんなこともなく、、(※きっと素晴らしい患者さんもいます。我が家に関しては、です。)

父に関して言えば「治療はどうでもいいから 欲求(喫煙、飲酒、ギャンブル欲、女性関係)を満たしたい」「嫌なことは考えたくない」「病気と向き合わない」というスタンスでした。

 

家族の方も、わがままに振る舞う父に「やさしく’しなくちゃ」と思うのに、ついついカッとなってしまい、きつい物言いになってしまう。

「(食事に)塩分かけすぎ。やめてよ。どうして聞いてくれないの。」

「あなた、、 やだなぁ、、そんなのも(簡単な一般常識)わからなくなっちゃったの、、」

「そんなに その女の人がいいなら その人に今後面倒みてもらって!」

「あなた、、なんでわかってくれないの!!もう出て行くわ」(父の健康を気遣う母の言うことを父がまったく聞かず 強行突破しようと暴れる父に対して母が)

ヒステリーになる母に、父も筆談で「死にたい」と書き、

それを見た母が「そんなのこっちだって死にたいくらいだわ!!一緒に死ぬ?」みたいな昼ドラのような喧嘩をしていたり、、

 

私の方も ついつい

「何度も言ってるけど、お母さんがあとで掃除するのが大変だから鼻をかんだティッシュは(食べ残しの)お皿に入れないでよ」

唾が大量に飛び散ってしまう父。食事を一緒にすると、自分の食べる料理にもたくさん唾液が入るのですが、病気だし仕方がないのはわかっているのですが 一緒に食べるのが生理的にきつくなってきてしまう。抑えていたけど やっぱどこか顔には出てしまっていたと思います、、、。

また、仕事の引き継ぎを母にしなくてはならないのに 頑なに拒絶する父。

「お父さん、病気から逃げずに ちゃんとお母さんに仕事の引き継ぎしないと。。家族が路頭に迷うよ、、」

意思伝達装置を頑なに覚えようとしない父に、

「筆談もできなくなるから、意思の疎通ができなくなるよ。今のうちに ちゃんと目線で意見を伝えられる装置(意思伝達装置)の使い方覚えないと、、ちゃんとやらないとお父さんが困るんだよ、、」

現実を見ようとせず、未来予測した行動が取れない父に私がイライラ。

 

などなど、そんな毎日の連続があり、いつしか 昔のユニークで面白く、「大好きだった父」の記憶が すごく遠くなって

「いまのわがままで横暴な父」に塗り替えられていくような感覚があり 私自身 その変化が恐怖で、冷たい人間だと思いました。

 

病気系ドラマでは描かれない リアルな感情、、。

「大好きな尊敬している人」が「困った人」に変化していく悲しさ。

ついつい「話せる母」の見方になっていまうし、母の立場に感情移入してしまう。

 

父との楽しかった記憶が 思い出せなくなるほど 当時は精神的にもまいっていました。

 

 

家族の絆も壊しかねない 性格や思考の変化が アルツハイマー併発ALSの怖さと惨さだと思いました。

 

父が 「自力で動けるけど 動きが危なっかしくて一人では歩かせられない&性格異常 」時期が一番きつかったです。

どこかで転んで動けなくなっていないかも心配でしたし、感情のコントロールがきかないままに外に出て 何をしてくるのかわからないので他人様に取り返しのつかない迷惑や事故などを起こしていないか、、とか、毎日自慢げに札束を持って外出し、かってにパチンコ屋飲み屋で散財してくるので 家のお金を全部使われそうで不安でした。 (店のレジからかってにお金を抜いて 目を離した隙に出かける)

 

 

その後、手の筋力低下のため、筆談も大変になってきたため 筆談も減り、心を閉ざしがちに。

 

▶ALS 父の病気の経緯【父の闘病記録③】

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Comment

  1. けん より:

    自分も20代の頃に祖母がアルツハイマーになり母親と祖母と三人で暮らしていたので凄く気持ちは分かります。

    元々、ばあちゃん子で家庭の事情もあり中学までは祖母と二人で暮らしていたので変わり果てていく祖母の姿を見るのが辛かったです。

    ストレスを声を荒げる事もあり、祖母のキョトンとした表情を見て胸が締め付けられる思いになり、何度も泣きました。

    その後、脳梗塞になってしまい、食べる事が好きだった祖母でしたが徐々に食べれなくなり寝たきりのイロウになりました。

    食べれてる間は自分も母親も美味しいのが食べれるからよかったとモチベは保ててましたが、寝たきりで薬だけで生きている祖母が今は可哀想に思います。

    そんな祖母を母親と二人で家で過ごしてましたが、今度は母親がALSになりました

    正直、祖母のアルツハイマーも鬱になるくらい精神的にショックで、友達との関係も減っていき、殻に閉じ籠り性格は暗くなりました。自分も祖母の思い出は今の祖母の姿しかないです。元気だった昔の祖母の印象がなくなるのと比例するように、祖母の今の現状に慣れていました。

    これから母親のALSの闘病生活を二人でします。自分の将来は既に諦めています。母親が元気であろうと自分自身が甲斐性なしで、別に結婚願望もないので、それは幸いでした。

    アルツハイマーになったら意識はないのである意味幸せと祖母の時に言われましたが、暴力的になられるのは辛いですね。ましてや男性なら尚更ですね。

    母親はまだ初期段階ですが、進行は早いです。脳とかに異常がなく、検査入院を始めた頃は、まだ普通のご飯でしたが、3日目くらいから飲み込みに支障があり、お粥になりました。

    まだ水も少しづつなら飲めて毎日大好きなコーヒーも飲んでいます
    基本はとろみがあるポカリで薬などは飲んでいます

    明日は妹のおばさんが来ていて外泊します。

    まばたきでアイコンタクトをしてコミュをする勉強からしようと思います。勿論、奇跡的に治る事や誤診の可能性もあるので今は治ると信じています。

    でも現実的に進行はしているので早めに対処や覚悟はしています。
    自分自身も不摂生で心筋梗塞をしていてその時に糖尿病も見つかりました

    糖尿病からくる心筋梗塞です。完全に不摂生で自分自身の事故管理不足でした!40代から気をつけようと思っていましたが遅かったです。今は母親の事もあるので節制はして気をつけています。

    今の母親には心配をかけたくないので自暴自棄には絶対にならないです

    自分自身、何かをしたいとか、どうしても生きたいとか思ってないです!母親より先に逝くのは最悪の親不孝と考えてるので命を粗末にしないだけです!単純に自殺をする勇気がないだけかもしれませんが・・・

    母親には前向きに頑張って生きて欲しいですが、生きようとしない母親が弱いとも思わないです。
    1リットルの涙という番組を昔見ましたが、頑張って前向きに生きる事は勿論、凄いとしか言えませんし頑張って少しでも長く生きて欲しいとも思います。

    自分自身に置き換えて考えたら人工呼吸器はあり得ないし少しでも早く死にたいと考えてしまいます。母親も人工呼吸器は拒絶してます。

    自分は母親が自分だけの事を考えて出した答えならどちらでも尊重します。母親が人工呼吸器で生きたいと思うなら自分の人生を全て捧げても出きる限りの事はしたいです。

    自分も声を出して何度も泣きました。母親の前では泣けないので泣き尽くすまで泣きます

    いつまでもクヨクヨもしてられないし区役所などの手続きも疲れます。幸い、母親の妹は東京ですが弟二人は大阪で、母親の事は勿論、甥っ子である自分の心配もしてくれてるので精神的には心強いです。

    これから想像を絶する闘病生活になると思いますが、なるべく準備はしたいと思います

    • niji より:

      メッセージに気がつくのが遅くって申し訳ありません。

      現在お母様が闘病真っ最中なのですね!!!

      とても辛い状況、同じ病気の家族を持つものとして心中お察しいたします。ましてや母親、、心の拠り所であるお母様のご病気、、、とても胸が締め付けられる思いです。

      進行が早い病気なので、介護認定など、いろいろ補助の審査や調べ物が追いつかないですよね。
      我が家でも 初めてのことばかりで 申請や手続き、介護や介護用品、病院の手配、、そしてどこまでの医療を望むのかの石選択等 考えることだらけで 本当にめまぐるしかったです。

      どうか けんさん自身もご自愛ください。

      きちんとお返事したいと考えているため、後日改めて コメントさせていただきます。

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